茨城県桜川市真壁町
「将門記」によると、承平7年(937年)に平将門が攻め入った場所を、服織(はたおり、はとり)の宿、としている。これが現在の羽鳥地区である。
羽鳥には、真壁と筑波山の男体山を結ぶ羽鳥道があり、古くは修経者の山岳修行の道であったが、江戸時代後期から一般庶民に広まった社寺参詣の信仰道となった。道沿いには当時の面影を偲ばせる野仏や石碑などが数多く残っている。
また、羽鳥には、春と秋に万葉びとが集まり歌を詠み交わして踊る「かがい」の伝承地があり、万葉の里・羽鳥の奥深さを語っている。
道沿いには当時の面影を偲ばせる野仏や石碑などが数多く残っている。
菅原の道真の遺骨の一部を、三男の景行が埋蔵した伝説がある古墳。筑波山を借景に千年の歴史を今に伝える。
羽鳥集落の西側の小高い丘にありこの地で「かがい」が行われたという伝承が残る。