茨城県桜川市真壁町
茨城県西部に位置し、地元で産出する真壁御影石による石材加工業と農業が盛んな町である。歴史は古く、真壁氏が本拠として真壁城を築いたことに始まり、後に佐竹氏の家臣となった真壁氏が氏幹の代に出羽国秋田に移った後、浅野長政が隠居料として同地などを拝領し真壁藩を立藩。浅野長重の代に笠間藩へ加増移封された後も陣屋がおかれた。陣屋があったところを中心として、市街地には古い町並みが広がっており、国の登録有形文化財建造物の数は100を軽く超える。また、各家や商店などでは2003年から町おこしによる雛祭が行われることで知られる。町南部にある筑波山は、県内でも観光地として有名である。
2005年10月1日、近隣の岩瀬町、大和村と合併し、桜川市となった。
真壁地区は、奈良時代末期には常陸国真壁郡と呼ばれており、承安年間(1172年頃)常陸大掾多気直幹の四男長幹が分家し真壁氏を名乗った後、真壁氏の城下町として成立したといわれています。
その後真壁氏は約430年間この地を支配しましたが、慶長11(1606)年真壁地区は、浅野長政の隠居料としての領地になります。長政死後、三男の長重が真壁を相続しますが、この人物が現在の町割りを完成させたといわれています。
その当時完成された道路の道筋や幅員は、現在もそのままで、十字路が変形している部分や、通りも見通しがきかないよう途中で微妙に変化させているなど、江戸期の城下町特有の道筋が残っています。